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ホームステイ先出発→ロサンゼルス着

金曜日→Pizza Partyが終わった夜に、Maconの友達のKirkがボストンの音楽学校に通っているチェリストを連れてきてくれた。前々から口約束はしていたけど、まさか離れる直前に会えるなんて思ってもみなかった。Aaronという学生なのだが、7歳からずっとチェロをやっていたらしい。試しに自分の借りたしょぼいチェロを貸したら、いろいろなコンチェルトを弾き出した。コンチェルトを弾ける人なんて実際腐るほどいるのだろうが、彼はいままで会ったどんな学生チェリストよりも音楽性があり、楽譜に忠実かつ、いかにも遠くまで響きそうな音だった。
やっぱり大学で始めたオレは勝てないなぁとは思ったけれど、大きな刺激になった。フィラ管もこっちで聞いたけれど、アメリカの弦楽器奏者もやっぱりプロは素晴らしいということがわかった。シカゴ響の金管に代表されるようにアメリカといったら金管楽器という勝手なイメージがあったが、弦楽器も決して負けていない。ウィーンとかドイツでオーケストラを聴いたらまた考え方が変わるかもしれないけどね。
この日はチェロも少しだけ個人レッスンしてもらって就寝。MaconやKirkは友達が多く、集中ホームステイ先にいろんな高校生を連れてきてくれるから楽しかった。
この日はKirkと会うのも最後。彼の英語はあまりにもbrokenなので、最後まで言ってることはよくわからなかったがこんなに親しく関わってくれたことに感謝をしている、この日は写真を一枚とって、またfacebookで会おうと約束を交わしてお別れをした。まだ明日ここを離れるという実感はなく、夜も特になんも考えず普通にぐっすり寝た。

土曜日→この日は午前中ホームステイ先のLizにPost Officeに連れていってもらった。なぜかというと日本に持ち帰る荷物があまりにも重すぎるから。おそらくすべての荷物で計50kg弱になってしまったと思う。無理矢理ケースに詰め込んだはいいものの確実に腰を痛めるレベルの重さだったので仕方なく船便で送ることにした。2週間くらいかかるらしいからちょうど観光し終わって日本に帰って数日したら届く計算だ、素晴らしい。
でも本当に先輩の言っていた通り、日本の教科書はほとんど見ることはなく、ただのお荷物になっただけだった。
普段から忘れ物が多いので、この日はステイ先に何も忘れないよう細心の注意を払い荷物を整理した。ここには書けないが、アメリカでいくつか重要なものをなくしてしまった。ここで同じヘマをしてしまったら本当に情けないので、離れる1週間前くらいから着々と準備を進めた。
自転車は300$以上もしたのに2ヶ月しか使っていなかったから、売ろうと思ったがタイミングが悪く200$で売る絶好のチャンスを逃してしまった。来年UNCに行く学生は絶対いると思うが、もしこの家を選んだら自転車は間違いなく必要だから100$で2ヶ月貸すというふうにしようかなと思っている。もし、実習終了後に代わりに自転車を売ってくれたら、半額にするっていうプランが最高。
フライト前の3時にMaconに空港まで送ってもらうことになった。最後にステイ先を離れる時は、LizもSpenceもとても悲しそうな目をしていた。気がする。
この2ヶ月間、本当にお世話になった。買い物、プロ野球、教会、ミュージカル、演奏会などに車で連れていってもらい一緒に楽しんだ。ステイ先の夕食はちょっと値段は高かったけれど、毎日ヘルシーな食事で、日本人の僕らのために毎食かならずご飯を炊いてくれていた。僕はおかわりすることが多く、Big Eaterと言われていたがそれほどここのご飯は美味しかった。たまに夕食が豪華な時があるのだが、Spenceは以前シェフをやっていたこともあるから、レストランで食べているような味で最高だった。名古屋では自炊も面倒だったので、ほとんど毎日近くの定食屋で夕食を食べていたけれど、やっぱり他の人と会話を楽しみながら食べるご飯は格別だということに気づいた。長年忘れていた家族と一緒にご飯を食べるという経験をアメリカでできたことはとても嬉しいことである。
アメリカの一般的なホームステイというのはただ単に家の一部を貸し、金を払うという形でこのように一緒にご飯を食べたりすることはない。だから普通は極めて浅い関係で終わるのだ。けれどこの家族は違った。ステイ先の家族はみんな自分たちにとても興味を持ってくれるから、会話も弾んで楽しかった。
こんな素晴らしい家に2ヶ月滞在させてもらったことは人生の宝だと思っている。
Lizはとてもハキハキとした元気の良いおばちゃんだったが、別れる時は目に涙を浮かべていた。こんな迷惑ばっかかけていた自分が離れるのを寂しく思ってくれて感慨深い思いになった。一方Spenceは見た感じ、すこし恐い形相をしていることが多いがユーモアのあって優しいいいおじさんである。道にゴミが落ちていると車を降りて拾うくらいいい人なのだ。この日はいつになく無口で淡々とお別れの挨拶を交わした。けれど、自分と同じように抑えがたい感情を抑えようとこらえているような感じがした。最後にはハグをして、Maconに空港まで送ってもらった。
空港に着くと、Maconともお別れの挨拶をした。MaconはこれからKirkと同じ大学に通うことになるらしい。高校もあと2週間で終わるから友達に会えなくなることが寂しいといっていた。大学に入ったら暇な時間を見つけて日本に遊びに来るよと言ってくれた。
研修医で忙しくしているかもしれないが、彼にはたくさんお世話になった。特に彼との思い出で一番心に残っているのはチェロとギターで二重奏をやったこと。これはパソコンに収めてあるから、消えても困らないようにあとで必ずbackupを作ろうと思う。
この後はロサンゼルスへ向かいホテルへ泊まった。また一つ大きなお別れをした。今日からはひとときの一人旅を楽しもうと思う。
今回はMaconと一緒に演奏した動画付きです。

Ashokan Farewell With Macon

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本当の実習終了

木曜日→
この日は個人でそれぞれ先生との面接があり、今まで実習で行ってきたことを報告したり、ResidentやAttendingからもらった評価をもとに成績をつけてもらう日だった。
授業ではあまり積極的に発言する機会がなかったのでその点はあまり良くなかったが、他の評価項目は割と良いもので安心した。特に他の学生、先生とのコミュニケーションという自分が今回の留学で最も大きな課題としていたものは良い評価を得られてそれが一番嬉しかった。
この日は面接が午後4時からという予定しかなかったのでかなりたくさん寝てしまった。でもたくさん寝たからといって疲れがとれるわけでもなく、また頭が冴えるわけでもなく、この日は逆にちょっと冴えない一日だったかもしれない、まぁ面接は無事に終わったけど。明日は待ちに待ったPizza Partyに行ってこようと思います。

金曜日→
この日も夜のPartyまで何も予定がなかったので極めて怠惰な一日になりそう・・・だったが、前日の反省を生かして重い体を起こし、一度UNCのキャンパスをきちんと全部見ておこうかなぁと思い立って自転車でいろいろと見て回ることにした。最後には忘れずにお土産を買うという目的もあったのだ。
UNCの病院はキャンパスの南側にあり、ステイ先はもっと南の方にあったのでキャンパスの北の特に東側の方は車で通り過ぎたことがあるくらいでよく知らなかったのでその辺を中心にサイクリングすることにした。いままで知らなかったキャンパス内の公園や建物を見ることができ新鮮。特に変わったものと言えば、学生寮がポンポンとたくさん建ち並んでいたこと。
こっちの学生は大抵結婚していて、しばしば会話の中にMy wifeがとかMy husbandがとか、たまにMy childrenがとかいう単語が出てきて初めは結構驚いた覚えがある。日本の医者よりもアメリカの方が明らかに結婚年齢は早い気がする。アメリカの医学生は経済的な負担も多い上に、かなりの勉強をしなければならず心の支えがないと医学生はやっていけないのかなぁと思った。
年を結構くっている人が多いのも理由ではあるに違いない。
なので、学生寮とはいっても結構立派なものだった。夫婦だけが住む場所はそうでもないが、子供もいる学生は普通の大きなアパートであることが多い。家の前にはバレーボールのコートがあったり、テニスコートがあって放課後や休日はたぶんそこでスポーツを楽しんでるのだと思う。
以前休日に前を通りすがった時は、夜中なのに野外で爆音で音楽を演奏していたりしたこともあった。いろんな点で日本の学生寮とはかなり違ったイメージがある。
その後サイクリングから一度家に帰り、カレーを作った。夜のPizza Partyに持って行ってみんなに日本のカレーを食べてもらおうという目論見で。
ぐっちはこの日も普通に実習があったので、終わったタイミングを見計らって病院に行き、最後の記念写真を撮ったり、Children’s Hospitalにあるピアノをいじってみたりしてきた。ちゃんと写真もたくさん撮ったし、ぐっちの演奏も録画したし、とりあえずここでやり残したことはもうないかなぁという感じで病院を後にした。
その後はPizza Party。カレーと明太子のパスタを持って、Krystinという来年からUNCの医学部一年生になる学生に車で送り迎えしてもらうことになった。Dr. McNeilの家に向かう途中に聞いたのだが、医学部に入学する試験はかなり大変だったという。これはKrystinだけではなく、ほぼすべての医学生が同じように答える。ただ単に頭が良く、テストの点数さえよければ受かるわけではない。面接の評価はもちろんのこと入学する前にしてきたボランティアまで評価されるのだそう。SHACにいたスペイン語通訳の一人はテストの点数はよかったが・・・ということでボランティアをやっているという話をしてくれた。
Pizza Partyの開かれるDr. McNeilの宅に到着し中に入るとなかなかの豪邸だった。
今まで一緒に実習をしてきた3年生やIntern、Residentも集まっていて、これが彼らに会える最後の機会かと思うと、なんだか寂しい気持ちになった。でもその分このPartyを十分楽しんでおこうと思った。
以前ぐっちと一緒に作ったカレーと同じレシピで作ったカレーはとても好評で、みんなが食いついてきた。このカレーにはいったいどんな材料が入ってるんだとかこのカレーは日本で買った物なのか、それともアメリカでも手にはいるものなのかなどなど。
作った料理を気にいってもらえるとつい調子に乗ってしまい、上機嫌でいろいろな質問に答えていた。一方パスタの方はなんだか微妙なリアクションに終わった。アメリカ人の料理に対する反応は残念なことにとてもわかりやすい。ダメなときはマジで食べない。
日本人なら結構無理して食べる人も多いと思うけど。現に自分は中学生のときにほんの一時だけカナダ出身の先生に英語を教わっていたことがあったが、そのとき一度カナダ料理をご馳走してもらうときがあったのだ。その人はカナダでも結構北部の方の出身らしく、料理が塩辛すぎてほとんど食べることができなかった。かなり無理をしても。
自分がそういう経験を過去にしていたこともあり、異国の料理が受け入れられない気持ちは結構わかるかもしれない。パスタはあまり好評ではなかったが、それはそれで納得してしまうのだ。
Partyにはチェロも一緒に持って行っていた。Gabrielという3年生が10年以上もチェロをやっていたという風に聞いていたので彼に演奏してもらったり、一緒に楽しさを分かち合えたらと思って持って行ったのだった。しかし、チェロを子供が発見するなり弾いて弾いてとせがまれてしまい、その場の流れで弾くことになった。弾いた曲はバッハの無伴奏1番の1と2である。ギャラリーが多くて音を間違えないように気をつけて弾いていたので音楽性がかなり欠けた演奏になっていたと思うが、みんなが真剣に聞いてくれて演奏してよかったと思った。

しばらく談話した後は先生や3年生のみんなとお別れ。来年の生徒もWelcomeだと言ってくれたので少しでも興味がある来年の留学生には是非お勧めしたいと思う。
この日は本当の実習終了。Facebookでも気づいたら現地の友達が増えていてそれが感激。
いつか日本に来るときがあったら連絡よろしく!といってお別れをした。
本当にこんなにつたない英語を聞いてくれて、真剣に関わってくれた現地の学生と先生には感謝してもしきれないという気持ちでいっぱいだ。

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